かつてのよき村人といわれるものは
先ず何よりも村の風をよく理解して
これに従うことであった。
つまりその村の色に最もよく染まることであった。
これは一見自らの個性をなくするように見えるけれども、
それによってむしろ個性が生かされもしたのである。
宮本常一『家郷の訓』より
**
個性とは、しゃしゃり出ることではない。
郷(組織)にしっかり馴染んだところで、
自分の役割が見えてくる。
そして、それが個性になるというわけ。
宮本常一は、私の心の師匠です。
2009年10月01日
五木寛之『我が人生の歌語り』
NHK「ラジオ深夜便」が好きです。
早寝して、4時頃目が覚めて、ラジオを付けると、
五木さんの語りが流れてきたりします。
本書は、その放送を起こしたもの。
昭和の彩る歌謡曲が、懐かしい。
私は、五木寛之さんが好きで、これまで50冊くらい読んだかな。
五木さんの本には、昭和のエッセンスがぎゅっと詰まっています。
2009年09月01日
瀬川昌治監督にインタビュー
九段下にマンションを保有して6年。
その間、隣同士でありながら、
管理組合の理事になるまで気付きませんでした。
そのお隣さんとは、瀬川昌治監督。
昭和を代表する監督の一人です。
昨日1時間、インタビューさせていただきました。
三島由紀夫「先輩」との思い出。
往年の喜劇俳優たちの交友。
フランキー堺さんは「フラさん」。
渥美清さんは、「渥美君」。
終えてから、「喜劇 急行列車」をお借りしました。
昭和を、映画という側面から、
あらためて見直してみようと思います。
その間、隣同士でありながら、
管理組合の理事になるまで気付きませんでした。
そのお隣さんとは、瀬川昌治監督。
昭和を代表する監督の一人です。
昨日1時間、インタビューさせていただきました。
三島由紀夫「先輩」との思い出。
往年の喜劇俳優たちの交友。
フランキー堺さんは「フラさん」。
渥美清さんは、「渥美君」。
終えてから、「喜劇 急行列車」をお借りしました。
昭和を、映画という側面から、
あらためて見直してみようと思います。
2009年08月22日
2009年08月15日
2009年07月26日
2009年07月23日
「成熟」という視点から
今、「聴き書き手帖」の執筆をしている。
昔の人の聴き書きを集めているところであるが、
つくづく思うのが、昔の人は成熟していたのだな、ということ。
これは私の周辺に限ったことではないと思うが、
今の日本社会は、「未熟」に悩まされていると思う。
すぐにけんか腰になる者
思うようにならないと、ごねる者
自己制御がままならぬ者
こういう人がどうして増えたのか、
どうして、昔は少なかったのか。
思うにそれは、
1.共通の価値観が失われた
教育勅語という土台を共有していた。
一方、戦後は、価値観の多様性を、無理矢理強いた。
2.「豊か」になった
貧困に身を置いていると、生活する力が身に付く。
知恵がわいてくる。
3.家族、地域社会の崩壊
昔の人は、両親以外に、祖父母、叔父・叔母、きょうだい、
近所の人たちなどが身近にいて、彼らから、
影響を受けながら、成長した。
近年は、極端かもしれないが、子供に影響を与えるのは、
「母親」くらいになってしまった。
今日、第一稿を完成させ、月内に、脱稿しようと思う。
2009年07月19日
今、『聴き書き手帖(仮称)』を書いています。
これまでの聴き書きのノウハウと体験談をまとめた本を出す予定です。
今、原稿執筆中で、あと3日もあれば、ひとまずの完成を見ます。
NPO「昭和の記憶」のオリジナルで刊行します。
今月中には、完成させる予定です。
関心のある方は、右上の「お問い合わせ」からメールをください。
2009年07月03日
友人の馬を応援に、浦和競馬場に
友人の馬の応援で、浦和競馬に。
競馬場は初めてだけど、この空気、合うなあ。。。
応援すべき馬は「シベちゃん」。一番人気です!
惜しくも、2位・・・
次は、川崎。今度は、優勝だ!!
2009年06月30日
愚将? 参謀・辻政信をめぐって
『昭和の名将と愚将』(半藤一利+保阪正康)を読んだ。
保阪さんは一面識あり、著作はこれまでもよく読んできました。
本書には、栗林忠道、石原完爾、永田鉄山といった「名将」とともに、辻政信、服部卓四郎、牟田口廉也といった「愚将」が紹介されています。
興味深かったのが、「愚将」辻政信。
以前、この人の部下であった元参謀(世田谷区在住)にインタビューしたことがあります。
その人は、しきりに辻政信の偉大さを語っていました。
深夜まで徹夜していると、とってもねぎらってくれる心優しい人だったと、何度も何度も言っておられました。
辻政信は、私の歴史的知識からはとうてい褒められるべき人ではないと思っていましたから、とても違和感を覚えました。
人の印象、魅力というものは、じっさいに会ってみないとわからないものですが、以来、辻政信には注目してきました。
本書を読んで、その謎が解けました。
辻は、参謀でありながら、自ら最前線で戦っていたということです。それなら、兵士たちからは大いに人気を博すことだろう。
よく見れば、顔写真にも狂気が宿り、ただならぬ人物の風貌です。
こうして多面的に、人間を見ることができるのも、聴き書きの愉しさというものでしょう。
2009年06月15日
2009年06月14日
宗谷本線のいい駅探訪
13日(土)夜、抜海駅に。
その後、稚内の居酒屋「網元」へ。
今回4回目。
マスターが亡くなってからもう7年になるそうだ。
マスターから、「ほっけは頭から食え」と言われたな。
●抜海駅
勇知駅は、駅前が雰囲気があるが、駅舎が・・・ということでパス。
●兜沼駅
●雄信内駅
この駅はいいなあ。
よくこのまま残ったものだ。
●天塩中川駅
●佐久駅
駅舎は、新しくなって魅力はないが、駅周辺は風情あり。
長野県の佐久地方の人が入植したのかな、と思ったら違った。
アイヌ語が語源だそうだ。
●音威子府駅
言わずと知れた、音威子府の立ち食いそば。
朝9時半からの営業。
駅前駐車場で、2時間朝寝して待ちました。
それにしても、次から次へとお客さんの大盛況。
昔の音威子府駅の様子。
●咲来駅
駅舎はしょぼいが、駅周辺は風情あり。
●豊清水駅
●恩根内駅
新しい駅舎はイマイチだが、駅周辺は北辺のたたずまい。
●紋穂内駅
貨車を活用した駅舎。
宗谷本線には、この手の駅が多い。。。
●美深駅
駅舎は、交通ターミナルとなり、イマイチ。
しかし、交通の要衝の証、駅周辺には煉瓦造りの倉庫が立ち並ぶ。
●北星駅
農家の納屋のような駅舎。
中もこんな感じ。
ここまで来ると、すこし刺さります(笑)。
●名寄駅
美しいなあ。
2009年06月13日
2009年06月12日
高齢福祉の町・本別を訪問
帯広から、本別町へ。
本別町は、軍馬の産地。
そのせいか、昭和20年7月15日に空襲を食らいました。
この規模の町では極めて珍しいことです。
戦時中を色濃く表す「馬は兵器だ」のポスター。
お昼時。Kさんの案内で、町内の食堂「浮舟」へ。
「豚のにんにく焼き」、これ、すごすぎます!
岩のような豚肉の塊!(断面図を撮影しておけばよかった。。。)
Kさんのご案内で、町長、教育長ほか皆さんと面会。
敬老キャンペーンについて、打ち合わせ。
「酒一筋」というお店で一献。
この店、おすすめです!(盛り上がってしまい、写真はこれだけ・・)
下は、もともと駅があった場所にできた「道の駅」。
Kさん、ありがとうございます。
この秋、本別ですごいことが起きると確信しました!
2009年06月10日
岩見沢、夕張、帯広を訪問
岩見沢のクピド・フェアという高齢者施設で、
NPO「昭和の記憶」のセミナーを開催。
見学させていただきましたが、かなり勉強になりました。
クピド・フェアの皆さん、ありがとうございます!
その後、室蘭本線の駅巡り。
しかし、沿線の都市化が進み、心に響いたのは追分駅1駅。


その後、夕張入り。
いつものようにYさん宅を訪問。
市内をフィールドワーク後、帯広へ。
帯広の屋台村にMさんと。そこへKさんが合流。
この方が、屋台村の仕掛け人です。
ぼくはこういう時、興奮して、写真を撮るのを忘れてしまいます。
撮ったのは、結局、この1枚。
奥のアスパラは今が旬。うまかったーー
手前の丼もうまかったー! けど、名前を失念・・・

NPO「昭和の記憶」のセミナーを開催。
見学させていただきましたが、かなり勉強になりました。
クピド・フェアの皆さん、ありがとうございます!
その後、室蘭本線の駅巡り。
しかし、沿線の都市化が進み、心に響いたのは追分駅1駅。
その後、夕張入り。
いつものようにYさん宅を訪問。
市内をフィールドワーク後、帯広へ。
帯広の屋台村にMさんと。そこへKさんが合流。
この方が、屋台村の仕掛け人です。
ぼくはこういう時、興奮して、写真を撮るのを忘れてしまいます。
撮ったのは、結局、この1枚。
奥のアスパラは今が旬。うまかったーー
手前の丼もうまかったー! けど、名前を失念・・・
2009年06月09日
新潟港から、小樽港へフェリーの旅
10:30新潟港出航!
日本海の日没。
今夜も満月。
写真だと感動が伝わりきらないかな。。。
甲板で、乾杯!
ちなみに、一等船室に至る通路はこんな感じ。
一等でも、飛行機より安いですよ。クルマと一緒で25000円ほど!
室内もこんな感じ。
4畳半ほどの和室です。洋室もありますが、私の好みはこちら。
ちなみに、写真は昼間の撮影(なので、外が明るい)。
翌朝4:30小樽港到着。
18時間のゆったりした時間でした。
その間、5冊読破と5本のビールとお酒。
小樽港で朝寝。
起きたら、10:30。
乗ってきたフェリーは、また新潟港を目指して出航です。
2009年05月23日
関西本線のいい駅探訪
敬老イベント、岐阜での用事を済ませ、駅巡り。
関西本線は、明治中期の開業。
こういう古い路線には、いい駅が今も残っています。
●笠置駅
●島ヶ原駅
●伊賀上野駅
●佐那具駅
●新堂駅
●柘植駅
●加太駅
2009年05月22日
2009年05月19日
宮本常一著『家郷の訓』から抜粋
尊敬する宮本常一さんの著書『家郷の訓』から、
気に入った箇所を引用しておきます。
昭和の気分(←もう少し古いかな)が味わえます。
●1
祖父はかならず毎朝東に向かって拝む。
それは丁重をきわめたものであった。
この時私もまたかならず拝まされた。
これは一日が安穏にすごせるようにと祈るのである。
夜はまた夕飯がすむと、ヘヤにある神棚に灯明をあげて一日の無事に送られたことについて感謝の言葉をのべた。
●2
母は絶対に私の枕許を通らなかったし、私の寝ている上を跨いだことがなかった。
食事する場合でも先ず神仏にお供えをなし、次に父や祖父や私が箸をとらなければ箸をとることがなかった。
神様へのお供えはどのように忙しくても一日を欠かしたことがない。
**
いかに小さい魚でも、頭は食べても尻尾はたべさせなかった。
そうしてまた食べている時箸の先をかんだり、身を微動させたり、茶碗のふちを叩くことを極度にいましめた。
そういう動作はすべてゲサク(下品)であって凡愚のすることだと教えた。
一見きびしいようだったけれども、そこには深い慈愛がこもっていた。
●3
傍で祈っている女親の低いしかし迸り出る熱い声を聞いた。
旅にいる子供の名をつぎつぎによびあげて、「どうぞマメ(健康)であるように息災なように。
もし病気になるようなことがあったら、どうぞこの私をかわらせて頂きたい。
たとえどのような苦しみをうけましょうともよろしゅうございます」というのである。
私はその時思わず涙をおとしてしまったことを記憶している。
●4
嫁と姑の一緒に暮す間は至って短くて、長くても十年位、短い時は二、三年という程度である。
このわずかな期間に女はその家の仕来りや家風を学ばなければならなかった。
●5
母の子に対する教育は、子がよく働く人になってもらうことだけでなく、次には神を敬う人たらしめることであった。
夕飯がすんでから神仏にお灯明をあげて拝むのは本家の方ではいつもその家の主婦であった。
今はややすたれているようであるが、夕食後のひとときは、どこの家でも木魚をならして仏様を拝む。
その木魚の音が方々できこえる。
春さきの静かな夜など村を歩くと、この音がまたとなくなつかしく聞かれた。
●6
「わしの考えで買うた山だから、わしの考えで売っても先祖への申し訳のたたぬことはない。先祖からのものには手をつけぬ。」
●7
かつてのよき村人といわれるものは先ず何よりも村の風をよく理解してこれに従うことであった。
つまりその村の色に最もよく染まることであった。
これは一見自らの個性をなくするように見えるけれども、それによってむしろ個性が生かされもしたのである。
●8
笑うべき時に笑い、泣くべき時に泣き、感動すべき時に感動するような感情の表現さえ、村人共通なるものを身につけた。
村々にきまった型の顔があるというのもただ単に顔の形が似ているという以外に、感情の表現の相似ているということが最も大きな意味を持っているように思う。
物の驚き方一つにも字ごとに少しずつの差があった。










